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さぬき市志度5385番地8

 さぬき市商工観光課内

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電車の場合


JR高徳線志度駅(またはコトデン志度線志度駅)を出て、駅前通りを北へ約5分。

右側に漁港、左側にさぬき市庁舎が見えてきます。

自動車の場合


高松自動車道、志度インターチェンジから3km。※駐車場30台

周辺ガイド

四国霊場第八十六番札所「志度寺」



四国霊場第86番札所「志度寺」

香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海の向こうはるかには、屋島や五剣山の稜線を望めます。

開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指 の古刹です。

海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが

始まりと言われ、その後、藤原 鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。

その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問 の道場として栄えました。

能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。

その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による 支援を経て、

寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。

志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があ ります。

四国霊場第八十七番札所「長尾寺」



四国霊場第87番札所「長尾寺」

明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。

地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれています。

開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。

行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を 彫造し本尊として安置。

法相宗を開基しました。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を

修法して国家安泰と五穀豊 穣を祈願されました。

その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されています。 

唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、

その時に真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺で したが、

天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰します。

江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めています。

四国霊場第八十八番札所「大窪寺」



四国霊場第88番結願所「大窪寺」

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。

徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置します

。縁起によると、養老元年に行基菩薩がこ の地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。

弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚 空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。

等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を

納 めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。

大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き 出たと伝えられます。

その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。

女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。

しかし天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り 返します。

しかし高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆。結願聖地の法灯を守り続けています。

「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂 (ほうじょうどう)へ奉納されます。

これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。


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